屋久島⑤
翌朝4時起床。
携帯のアラームで目を覚ます。本当の真っ暗闇の経験がなさすぎて一瞬失明したものかと勘違いし、ドキドキしながらいつの間にか二度寝。
6時頃再び起床。
薄明るくなってきていたのでのろのろ起き上がり目が無事だった事をぼんやり自覚。
しかし今度は外の様子がおかしい。昨日は聞こえなかった、川がドドドドと流れるような音がとても近い所で聞こえます。
はて何だろうと懐中電灯を持って表に出ると、大雨。昨日まで道だったところが全部川になっていて昨日と風景が全然違う。驚き急いで彼を起こします。彼もびっくり。
屋久島は晴れが続くと、晴れた分大雨が降るそうです。屋久島はここ5日間ほど晴れていたらしいのでその分の雨が一気に降った形です。
とりあえず、一番近い入山口に行ってみる事に。僕は機材やメディアを水没させないように気をつけました。
しかし途中にある川が増水していて渡れず断念。結局3時間ほど遠回りし、紆余曲折(大略)を経て荒川登山口から下山しました。
その間誰とも会いませんでした。
(荒ぶる川)
出口を見つけた瞬間あまりの喜びに抱き合ってしまったほどの道程で、昨日までとは全く違う種類の感動がありました。
半日雨に打たれてとても寒い&空腹だったので二人で鹿児島のラーメンを食べました。
温かい料理の有難さ。その美味さに震えました。
この日は彼が見つけた鹿児島のグリーンゲストハウスへ宿泊。
三日ぶりのシャワーでしたが、雨にしたたか打たれて結構さっぱりしていたので正確には三日ぶりの温水シャワーということになります。
ゲストハウス自体初体験だったのですが2000円程でカプセルホテル的なベッドで寝れ、台所もシャワーも自由に使えるのでとてもアリだなと思いました。外国人バックパッカーが沢山いて結構面白かったです。英語完璧に話せればもっと楽しいはず。
翌朝彼と再会を約束して別れ(後に京都で再会)鹿児島市内を軽く散策しつつ夕方の飛行機で帰りました。
と、今回の屋久島撮影旅行はこんな具合でした。僕は色んな意味でかなり運がよかった方だと思います。まさかこんなアドベンチャーじみた内容になるとは思いませんでしたが無事撮影もやり遂せて色んな人と話せてとてもいい経験でした。
思い切ったらいいことあるな。
屋久島行ったことない方は是非行ってみてください。3000年生きた木なんてそれだけで拝む価値があると思います。途方もなく。
そして最後に。
とても行き当たりばったりな登山計画だったと感じられると思います。実際そうだったんですが、一応登山に必要な最低限揃えるべきものは揃え、緊急連絡先なども控え、現地のガイドさんに情報を聞き、下山の場面でも決して大きな無理はしませんでした。一定の緊張感を保ち無理をせず行動する事を心がけた訳です。
ポピュラーな観光地ですがやはり大自然。下手を打つと直接命に関わります。現に死亡事故も毎年ありますので、訪れる際はそのあたりに敏感になっていないといけないのだなと僕は行って実感しました。自然の中ではどこまでいっても自己責任です。
おしまい
屋久島④
翌朝7時頃起床。
他の方とはここでお別れ。皆さん更に山を登ったり、下山したりと様々です。
僕は縄文杉を撮影するという目的を果たしたので山を下ります。当初の予定では港に戻り、どこかの宿で一泊し、翌日早朝のフェリーに乗って鹿児島へ帰ろうと思っていましたが、昨日小屋で再会した彼と色々話している内に、入山口である白谷雲水峡の近くに白谷小屋という避難小屋があるから、そこに無料で泊まって宿泊代を浮かそう。そして早朝に山を下りてフェリーに乗ろう。
という話になり、予定変更で各々白谷小屋を目指すことに。
(霧)
二日目は雨が降ったり止んだりで、とても屋久島らしい天気でした。雨が近づいて来ると雨を受けた葉のサーっという音が近づいてきたり、いきなり無音になったりします。濃い霧が充満している森は昨日とはまた違い霊性溢れる雰囲気です。
(岩の上に生えてる)
(苔)
(ヒキガエル)
今日は天気の事もあってか3時間ほど誰とも会わない位閑散としていました。ゆっくり下って夕方4時頃白谷小屋到着。彼も既に着いていました。
夕食を食べながらお互いの身の上話や国の話、日本の漫画の話などしつつ、曇っていたので夕方6時には真っ暗になったので休みました。
日中身体を動かして腹が減ったらご飯を食べて、暗くなったら眠たいので寝る。
とても人間の生理に沿ったスケジュール。
二段ベットの上と下でポツリポツリ話しながらいつの間にか就寝。
⑤(最終章)へつづく
屋久島③
鋭角に対面。(記事的に)
登山スタートが午前9時頃。ちょくちょく休憩や撮影で立ち止まったとは言え、目的の縄文杉との対面は午後4時頃だったのでおよそ7時間程歩いた計算になります。
樹齢およそ3000年。日本は縄文時代の晩期です。電気も無かった時代からここに在る訳で、僕たちが知ってる歴史上のこの事件もあの事件も、善い日も悪い日もここに生きながら屹立していたという事実。これは凄いことではないでしょうか。
月並みな表現ですが感動しました。本当に来てよかった。
そんなこんなで縄文杉の撮影も無事やり遂せ、1日目の宿へ向かいます。
縄文杉から10分ほど歩いたところに高塚小屋という避難小屋があり、無料で素泊まりができました。
三階建てのログハウスのような建物で最近建て直ししたらしく、木のいい匂いがしてとても快適でした。トイレも近くにあり水汲み場も10分程の場所にあります。
シーズン中は混むこともあるようですが僕の行った時は4グループ8人ほどしか居られずそういう意味でも快適でした。
(三階から外を眺められる仕様)
(服を乾かしたりできる仕様)
やっと寝床も決まり少し休憩。他の登山者の方々も銘銘休まれたり晩御飯の準備をされたりしていた様。
他の登山者の方と話をしました。
京都から来られた70歳を超えるおばあさん(本当に驚いた。数年越しの想いだったそうな)や、先の震災(宮城県石巻市)で直接的に被災された経験をお持ちの方と被災地の現状や原発の話をしたり、酒が無くて困っていた僕にスコッチをご馳走して貰ったり、お返しのつもりで笑い話を披露したり。
(縄文杉を見て直ぐにここで原発の話をした経験が今回の縄文杉を使う作品の方向性を考える上で重要なヒントになりました)
そうこうしている内に今回の屋久島の旅で後半の運命(後述)を共にする事になる男が現れます。
彼です。(ハーフで日仏ハーフを撮影したことになる)
一人でヒッチハイクの旅をしているというフランス人の彼とは実は行きのフェリーでも一緒でした。凄い偶然。しかもなんと彼はバスに乗らず港からここまで歩いて来たとの事。とんでもない健脚の持ち主です。
その他にも入山口でツーショットに四苦八苦していたので写真を撮ってあげたカップルともこの小屋で再会したりと嬉しい偶然などなどありながら、居合わせた方々と日が落ちてお互いの顔が全く見えなくなっても楽しく話をして、とてもいい時間でした。
特別な雰囲気の中就寝。
ここからは屋久島脱出編。余談的な記事になります。
④へつづく
屋久島②
7時に屋久島上陸。港から登山口まではバス移動。
一番スタンダードな登山口である荒川登山口へは前日までにバスチケットの予約が必要との事だったので、二番目に利用者の多い白谷雲水峡(しらたにうんすいきょう)から入山。ここへのバスは「おーい乗せてくれー」形式で乗れました。
バスの待ち時間など諸々あって9時頃から登山開始。
(入山口から少しの間はこんな風に整備されてる)
天気が凄く良くてラッキーでした。
屋久島はとても雨が多く、天気予報もあてにならない場所で、晴れていても山が保有している水が直ぐに蒸発、雲になって雨を降らすのでとても天気が変わり易いです。
逆に雨が多いので全て流され蚊等が湧く暇が無いので虫も糸蜻蛉くらいしか(探したら色々いると思う)おらず、空気もひんやりしていてとても快適でした。
途中から整備具合が緩やかに下がって行き、道は徐々に険しくなります。
(石の階段)
(抹茶味)
(大きな綺麗な木)
登山スタートから二時間位で映画「もののけ姫」のあそこに到着。
とても風が強く怖い位で気を抜くと落ちてしまいそうでした
この時点で汗びっしょりで身体は熱いくらいでしたが、縄文杉へはここからまだ四時間ほどあります。しかし次々に現れる景色が素晴らし過ぎて疲れはあまり感じません
(僕の場合の話なので基本は小休止をちゃんと挟むべきだと思います)
(頑張ってる木)
(苔生してる木)
(抹茶味)
石と木しかありません。
どこを切り取っても同じような風景。の様に見えますが、やはりどの木も石も違いがあって、常に変化していたり、また天気に依って全く違う顔を見せたりするという所が魅力なんだと思います。事実僕が登山中に喋った島在住のガイドさん達はこの島の自然に魅せられた他府県からの移住組がとても多かったです。
更に登るにつれ、どんどん道や階段の勾配が厳しくなってきます。
木と石によるワクワクの魔法も解け、完全に息が上がりながらも登ります。(本意気で辛かった)ある程度登ると、あの有名な「ウィルソン株」があります。
(中に入ると天井がハート形のあれです)
僕が滞在していた時に偶然観光センター的な所でこのウィルソン博士の写真展が行われていました。この博士、プラントハンターでもあり写真家でもあったということで、とても格好いい植物の写真が展示されていました。
そしてこのウィルソン株から更に登って行くと木の樹齢が一気に跳ね上がる様でした。御神木のような立派な木が沢山。身体の方も跳ね上がり疲労困憊。意識朦朧気味での縄文杉との対面になります。
③へつづく
屋久島①
ここ数年程ずっと撮影に行きたいと思っていながら広島から南に行った事が無い自分にとっては九州の、しかも離島まで行くという事はかなり思い切った行動で、「今しか時間が持てないだろうから」に背中を押され、逆に「そうあってくれ」とも半ば思いながらの準備だったわけです。
更に今回は一人(撮影)旅であり、初九州でもあり初登山でもありと、初めてずくめだったので不安要素に枚挙暇なし状態で、知人の屋久島経験者に話を聞いたり、ネットで現地の情報を収集したりしてみても結局行ってみないとわからない部分が大半だったので一応諸々の準備を行い、勢いで出発しました。
神戸空港ー鹿児島空港ー鹿児島中央駅ー谷山港と、色んな人に道を尋ねつつ、現地のおばあさんにクリスタルガイザーとエビアンの違いを尋ねられたりしつつ移動しまして、夕方頃屋久島に向かうフェリー乗り場に到着。
フェリーはいびすかすという格安フェリーに乗りました。
このフェリーは鹿児島ー種子島ー屋久島をつなぐ生活物資を運ぶ定期船で、自分が乗りたいだけなら予約不要。「乗せてくれー」的な感じで乗せてもらえ、乗組員や他のお客さんと雑魚寝するという面白い船。
(ピックアップ作業とローカル番組を眺めつつ出航を待つ)
(さらば鹿児島)
(船からの眺め。コンテナだらけ)
(桜島)
景色も綺麗、風も気持ち良い、ビールも美味いという最高の状態で日が暮れるまでぼーっとしました。夜間種子島に寄港、積み下ろし作業があったようですが疲れて寝ていたので記憶にありません。
(ビール)
(日没間近)
そして翌日朝、すっかり寝ていた僕は船の汽笛で目を覚ましました。他の乗客は皆荷物を纏めてデッキに出ていたので僕も遅れてのろのろ出てみると...
屋久島が目の前に。思わず「これがヤクシマ...」と呟いたとか呟かなかったとか....。
(映画「血と骨」の冒頭、金俊平が済州島から日本に渡ってきたシーンを思い出したのは本当)
②へつづく